- 【新説】part2 - 関ヶ原の戦いはなぜ起きたのか?三成の名声が頂点に!見事な朝鮮からの撤兵!【豊臣政権の反撃】

【新説】part2 - 関ヶ原の戦いはなぜ起きたのか?三成の名声が頂点に!見事な朝鮮からの撤兵!【豊臣政権の反撃】

みなさん、こんにちは!

今回は、「なぜ天下分け目の関ヶ原が起きてしまったのか」ということを最新の学説と独自解釈を交えて解説をしていきます。

この動画は、part2となりますので、先に、part1をご覧いただくことでより楽しめる内容になっています。
part1:https://www.youtube.com/watch?v=htUzV7YSBqc

まずは、...
みなさん、こんにちは!

今回は、「なぜ天下分け目の関ヶ原が起きてしまったのか」ということを最新の学説と独自解釈を交えて解説をしていきます。

この動画は、part2となりますので、先に、part1をご覧いただくことでより楽しめる内容になっています。
part1:https://www.youtube.com/watch?v=htUzV7YSBqc

まずは、簡単に第一部を振り返りますと、
豊臣秀吉と徳川家康はもともと良好な関係にあり、家康は豊臣政権を安定させることが徳川家のためであると考えていました。
そのため、秀吉が信頼している石田三成と連携を取りながら、豊臣政権の運営を行い、家康も三成のことを有能な人物として評価していきました。
そんな最中、秀吉は逝去してしまいます。
これに伴い、朝鮮出兵からの撤退が必要になりましたが、「朝鮮に出兵した兵へ恩賞は与えない」という秀吉の遺言により、朝鮮へ行った大名から不平・不満が出ることが確実という状況となっていました。
さらに、五奉行、五大老ともに「朝鮮撤退」という大筋では一致していましたが、撤退の文書を「五奉行のみで発行する」と主張する五奉行側と「五大老の連署も必要である」と主張する家康の間で対立が生まれてしまいました。

今回の動画では、仲が良かった家康と三成が徐々に対立を深めていく様子を
「撤退文書の対立に対して家康がどう対処していくのか」ということと「政権運営者である三成はどのように家康を遣り込めるのか」ということを中心に話していきます。

#歴史 #歴史解説 #日本史 #関ヶ原の戦い #徳川家康 #石田三成 #豊臣秀吉

---目次---
00:00 オープニング「関ヶ原の戦いと徳川家康と石田三成」とは?
01:40 家康の焦り…五奉行の主張がほぼ認められる形で撤退命令が発布される
04:21 まさかの事態…和睦締結前に秀吉の死がばれてしまう…

※音楽:フリーBGM|MOMIZizm MUSiC

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