- 【後北条の名政治】民を守り、民も北条を守る!年貢激安、庶民保護、治水に目安箱!【民は宝】

【後北条の名政治】民を守り、民も北条を守る!年貢激安、庶民保護、治水に目安箱!【民は宝】

みなさん、こんにちは!

みなさんは年貢というと、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
多くの方は「年貢によって農民は苦しんだ」と思うでしょう。
実際、戦国時代には様々な税が民に課されていました。
関所の通行料や田畑に対する段銭に加え、通常の年貢を合わせると、多くの領土では、6割以上が民から吸い取ら...
みなさん、こんにちは!

みなさんは年貢というと、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
多くの方は「年貢によって農民は苦しんだ」と思うでしょう。
実際、戦国時代には様々な税が民に課されていました。
関所の通行料や田畑に対する段銭に加え、通常の年貢を合わせると、多くの領土では、6割以上が民から吸い取られていました。

しかし、そんな中でも年貢が異常に安く、生活がしやすかったのが関東の北条家でした。
北条家が始めて支配した土地は伊豆でしたが、北条家が来る前に伊豆を支配していた山内上杉家は脅威の8割を年貢として民に課していました。
つまり、民の手元に残るのはたったの2割だったのです。
その過酷な年貢割合を北条家は一気に4割まで下げ、それを伊豆だけで留めることなく、以降北条が支配する地域は、すべて4割に下げられていきました。

そして、徴収した年貢も私利私欲に使うのではなく、治水などの公共事業につかったのが北条家です。
結果として、豊臣秀吉の関東征伐において、民を愛し、民に愛された北条家のために、「農民が自主的に」立ち上がりました。

関東征伐において、北条家は敗れましたが、戦後関東に入った徳川家康は、北条家からとある手紙を受け取ります。
その手紙には、「関東中で治水がまだ行き届いていないところもあり、その修復を家康に頼みたい」という内容でした。

家が滅亡するにも関わらず、最後まで民を思い続けた北条氏政、北条氏規に家康は、涙を流して感動したと言われています。

今回は、そんな最高の民思いな政治を行った北条家について紹介します。

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---目次---
00:00 オープニング「後北条家」とは?
01:57 伊豆を統治した北条早雲が課した税率の安さに農民はびっくり!
04:29 三代目 北条氏康の元で税制が整理!飢饉には徳政令を出す、民優先の政治!
07:19 家康号泣!自分の命よりも民のことを優先する北条家の美学!

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