
「多さ」と「確実さ」という対比設定は妙ちきりん。多産多死の生物だって、元は「確実さ」ベースで生存していたが、捕食者が居るために諦めざるを得なかった可能性がある。また、そもそも確実性とは何か。

そもそも捕食者の少ない生物が、多産多死型のモデルを組み込もうとする必要性はないのでは。また、産出数およびモデルは自然界の需給で決まるもので、そんなに短期間で変動するものではないだろう。

「多さ」と「確実性」を損なわない繁殖法である不倫因子は良い遺伝子で、子育て因子同様に後継ぎに残らないといけないと人知を超えた遺伝子が判断したのだから、「最終的になんか残ってくれればいい」ではダメなのでは?

一連の理論だと、遺伝子が不倫因子を良い因子と判断したのだから、その因子を「人類はきちんと受け継いでいる」程度でなく、不倫因子がマジョリティになっていないと論が成立しない。

因果が逆転してしまっている。不倫因子は後天的に発現するのか?そんな馬鹿な。
