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水野の友人とわいわい雑談しよう

僕も最近、ゆる言語学ラジオを最初から最新まで見ましたが、いつの間にか堀元さん水野さんに年齢を抜かれてました

もう最高

これ知らなかった、おもしろすぎる

自己肯定感と自己評価の違いとは?

水野さんのこういうやつ好きなんだよなー

「この天気のよさ、気持ちよさ東京が俺を祝福している」

米倉涼子さんが昔CanCamのインタビュー記事で「『涼子はいつも自信が無さすぎる。もっと自信を持ちなさい』と先輩モデルに言われる」と仰っているのを読んだ事があります。当時「表紙を飾る超人気モデルなのに!?」と驚いた記憶があり、よく覚えています。イメージと違いますよね。

堀元さんが彼氏面で面白い

大谷の自己評価パワプロか何かで自分の打撃力がAとかに設定されていて、それに関して「これってAが最高値ですか?」「SがMAXです」「じゃあSだと思うけどなあ」みたいなやり取りがあったので、そういう意味では自己評価というか分析自体は正確に行えているのではないでしょうか?(ただし志が高いから努力する)

水野の努力論

水野さんの「他人に努力と思われていることを自分では努力と思っていない」話、お笑い芸人ロザンのお2人も自身のYouTubeで以前に同じようなこと話されていて面白かった。ロザンの楽屋『【実践】運をつかむための『正しい努力』』

私も自己肯定感振り切りの自己評価低い人間なので、クルマさんが言われたということも理解できるし、水野さんの言ってたことが全て。好きなことを仕事にしているので、やりたいことをやっていたら報酬が得られているという感覚。給与が発生する時間の1.5倍の時間を好きなこと(=仕事?)に費やしてます。この作業に対して報酬がもらえているとするのなら、40%しかお給料をもらっていないことになりますが、別に気にしてません。100%もらえたら嬉しいけど、それに執着はしていないという感じ。私とすれば、好きだから・やりたいからただやってるだけなんだけど、世間一般はそれを努力と表現するらしいですね。努力と思ってないから評価とか報酬はいらない(あったら嬉しいけど、無いなら無いで別に平気)っていう感じ?。水野さんに落とし込むと、毎日辞書2ページを読むことが結果として仕事に繋がっているがこれに対して仕事とも努力とも思ってないし他者からの報酬が欲しくてやっている行動でもない。水野さんの言う「努力」(自分の意志でイヤだと思ったことをやること)から避けることを選択しました。だって私が「努力」してそれを身に付けるより、元からそれを得意とする人が周りにたくさんいる。大多数の人間は私が苦手な作業(事務処理)をなんら苦として認識していないということを知り、適材適所ということでお願いすることにしました。

水野さんの努力論「したくてやっている」「自己評価が低いことが前提だから、他人の水準まで能力を引き上げることは当然」が、自分の感覚と酷似していてびっくりしました

はーい!なりました!

@ 現在ですが、30分ほど前にオフィスに向かうためにようやく重い腰をあげ家を出ました。しかし行きつけの喫茶店に入ってしまい、一旦コーヒー飲んで本でも読むか、と休憩中です。客観的に見てヤバい行いなのですが、自己認識としては「読書タイム設ける俺、偉すぎる〜〜〜!!!」って感じです。みなさん元気に生きていきましょう!!!

これ努力だと思わずにしてしまえる事が才能だと思います私も水野さんと同じく自己評価が低く自己肯定感が高い、したいと思えないことはできない人間なのですが、「才能」がないので無事鬱ニートになりました努力だと思わずできる事も無く、努力だと割り切って頑張ると体を壊します助けて

自己肯定感ってHPのことかぁ

ほえーーーー 私も基本胸張って自信満々に歩いてるんだけど、実際女性にしてはテストステロン値高いっぽいです。判断材料は毛深さとか性欲とかですが🫨

自信過剰は自己防衛?

自分用

ここ本当好き

これもわかる

この堀元理論はめっちゃ理解でき、なぜ奢られ続けると病んでしまうのかというメカニカルが何回見ても理解できないのですが…。誰か教えて欲しい。私もここで知るまで堀元さんみたいな布教をしていた😅自己評価の軸を欠如している人もいるのかも…。たぶん私は水野タイプで右下の領域(自己肯定感:高、自己評価:低)なんですが、水野さんみたいに自己評価が低いことを顕在化させているタイプと自己評価は気にしない私みたいなタイプがいるのでは?ここに奇人で心理学に明るいのかたりやさんや外れ値と思われる室越さんあたりを加えて欲しいです。

自分はブログにしろ官能小説にしろ、マイナー性癖を満たすために書いてると思います。自分は私の書いてるものに文句あるなら、引用してもしなくても、もっといいの書いて送りつけてくれたら自己承認を満たせます。別に批判だけしてくれてもいいと思っていますですから、自己評価低くはないと思いますが、こういう経緯なので別に高くもないのかなあと思ってます。なぜ書いてるのかにもよるのかなって。もっとも、ワンチャン商業来て、相手に正気を疑えたらと思っているので、自分は多分不相応には高いでしょうが

> 何かを書いて発信する時点で自己評価は高いはずこれはそうとは言えないと思います.現に私は自己評価低いですが,自身の活動によって得られた知見をまとめたり,備忘録として書いたりして発信するということはしています.

あたりから展開されるブロガーなんだけど、レールから外れるというレールへの意識を自覚していないあたり、なんというかちゃんと自己評価できてないですよね。自己評価が高いというのは的確な自己評価ができることとセットなのではないでしょうか?

認知が歪んたブロガーたち

以前、水野さんに指摘されていた「凡百」を「ほんびゃく」と読み(一応正しいが、一般的には「ぼんぴゃく」)、挙げ句の果てに「色々な、数々の」という意味であることを指摘されたにも関わらず、「平凡な、ありふれた」の意味で使い続ける茶化しナス。

当時のブロガーたちはみんな李徴やったんやね

ここ水野さん可愛い

堀元さんの当時のツイートのリンクが貼られてるかと思ったが流石になかったw

体育会系は怒られ上手

管理職になりたい

25000/3 なので 8000くらい。一週間の500/3倍だから3年以上凹むことになりますね。不登校や引きこもりの人は実際そういう境遇なのかも。

ら辺で議論している、怒られて8000凹んでたところから、どんなに怒鳴られても2しか喰らわない人間になったのもこの時期です。

今回のお家芸

の水野さんの「ドスケベ」って表現、バカリズム感があって気持ちいい

マネージメントをしてみたいということもさることながらその部分をシステム化したいという欲求がある。そこがうまくいけば会社として盤石になるかなと緩い期待をもって仕事してます。

これはマネージャーの職責外のことだし、たとえ別会社でも自分と一緒にやってくれていた方が活躍してると嬉しいよねえ

水野にしてやれることはない

自分がもし上司なら、慢心を抑える手段としてあまり経験のない業務を振ってその能力を伸ばしたいと思うよう仕向けるかなー

自己評価の理想と現実

ここの堀元さんの感覚は、僕の自己肯定感の定義と合致していて、現実と自己評価のズレ値が自己肯定感の本質だと思っている。

お友達連動

「自己肯定感と自己評価は独立した変数」って述べているけれど「おまえつかえねぇな」って言われた時同時に下がるのは独立した変数として考えていいのか?

自分の内面に関する話は自己肯定感に、自分の外面=成果物に関する評価は自己評価につながるのかなあ

「そんな自分を認められない」これはまさに自己を肯定できてない、自己肯定が低い状態な気がします。自己肯定が高い人は、水野さんのように内なる何かを発信しようと思わない傾向にありそうなので、そもそも発信しようと言う時点で自己肯定感は低いのかもしれません。異論は認めます。

これ聴いてて思ったけど、「自己肯定感が低いほど、自己評価の二重性(理想と現実)の乖離が激しい」っていうモデルが結構良い線行くんじゃないかな…?

自己評価と他己評価(実際の能力)の混同もありそう。

「あっそうなんだ…」がマジで自己肯定感カンストしてる感あってオモロイ。

経営者が言ってるの聞くとつらい😂 自分もそれで「こいつ雇いたくない」と思われる側かも〜 ゆる内省学ラジオだ〜

多分みんな表立って言わないだけで、組織としては自己肯定感の低い人間の扱いの難しさを知っているので、比較的他人に愛されやすそうな陽の者のほうが採用しやすいんだろうな。

次回「水野の異常性」

オレたちのベスト方言グランプリ

いつもこんなに絞り開放してましたっけ

堀元さんのチンパンジー拍手好き

ゴーギ(埼玉県秩父)

豪儀のアクセントは平板ではなく頭高です。

某堀元氏の無知・誤読に関しては今更放念しようとしていたけれど「やさい」でなくて「よまつり」な 慶応まで出て、「ゆる民俗学ラジオ」の元締とるなら一般的な常識もとうぜ ってゆうかもっと勉強しろよ

1000円億円、って字幕のチェックすり抜けたん?笑

文字おこしが「1000円億円」になってますね

先週と同じ流れだ

きゃっぽした(東北)

津軽地方出身ですうちの地域だと「かっぱとる」とか「かっぽる」「かぽった」って言います「かっぱ」単体だとひっくり返る的なニュアンスがあります。あと水たまり関連だと泥はねのことをすっぱねって言ったりします

道南では「かっぽる」とか「かっぽりした」って言います

岩手出身です。「きゃっぱり」の発音は「キッパリ」みたいにパにアクセントを置かず、平板な読み方が一般的と思います。「きゃっぱり」が名詞形で「do きゃっぱり」が「きゃっぱりする」という理解でよいかと。また、どの程度の濡れ具合がきゃっぱりに該当するか、は世代によっても違うようです。ウチの爺さんなどは「川の浅瀬で足を滑らせて転び全身ずぶ濡れになった」くらいでないと「きゃっぱり」ではないという認識のようです。若い世代では「水たまりにうっかり踏み込んで靴が床上浸水した」くらいでも「きゃっぱり」と言っている気がします。

堀元さん「あの村」でターザンごっこしてスマホを川に落としてましたね

いげがましい(長崎県・山口県など)

デジタルだとタグを用いた検索ができそうで良いですね

山口生まれ民です。魚の骨のことを、父や父方の祖父母が「いぎ」と言ってました。ただ、いげがましい、(またはいぎがましい)と言ってるのは聞いたことありません。

ちなみに北海道(旭川)の地酒で「鰊御殿」があります。

やーなれーる、ふかなれー(沖縄県)

家で慣れんことは外で慣れたようにすることも不可(家慣れん不可慣れ)ってすっと頭で変換して理解しやすかった

沖縄でも地域差あることに驚きました。

アリアリ言いすぎてて話入ってこなかった

キメラアント編(蟻編)の話してるのに「自分であり続けた」って言ってて、イマジナリー堀元が「うわー、蟻編の話なのに“あり”続けたって言ってる。うわー散らかるなー」って言ってました

あたりの堀元さんの台詞、リゼロのレグルスかと思った。

北海道のリバタリアン母ちゃんと愛知のリーガル父ちゃん

茶碗をうるかしといて

関西在住の私と友人数名で東北へ旅行した際、旅館の方に「関西の方々って方言隠さないですよね、他の地域の方々は隠したがるのに。恥ずかしさではなく、誇りだと思ってらっしゃるんですかね?」と言われました。確かにそうかもなぁとその時から思うようになりました。

石川ではひやかすと言います

「うるかす」って最近ショート動画で見かけたな〜

サンプルが少ないですが、私の周りだと北日本出身の人は「方言は恥ずかしい」と思う人が多く、西日本出身(特に関西・九州)は方言への愛着が強いように感じます

名古屋の大学に通っていた時、周りのみんなが名古屋弁をさも標準語のように話しているのが許せず、無理をしてでも地元の三河弁を使って対抗していました

中国語で鶏の唐揚げを意味する「炸鶏(ザーギー)」が訛ったものと言う説がある

ザンギと鶏のから揚げは別では

びちゃる(奥三河)

「びちゃる」 は奥三河と隣接した南信州でもおなじ捨てる意で使います、それが信州の北部に行くにしたがい「ぶちゃる」に変化しています

奥三河の「びちゃる」は新潟でも聞きますよ

現代ではほとんど使われていないかもしれませんが、「びちゃる」は長野県安曇野郡出身の祖母が同じ意味で使用していました。以前取り上げられていた方言の飛地現象を体感できてとても面白く感じています。

奥三河だから「何が来る?(ワクワク)」ってなった奥三河人だけど、知らなかった…。奥三河も一括りに出来ないんだなって思った。でも、水野さんが言ってた「にじゅうなのか」は何も違和感を覚えなかった。気付かない方言だと、「見える」かなあ。「○○さんはいらっしゃいますか?」と言うときに「○○さん見えますか?」って言っちゃう。何か方言の本読んでてみんな使わないんだと知りました。

群馬では同様の意味で年配者中心に「ぶちゃる」と言いますね

新潟の富山県境に近いところ出身です。びしゃる、ってほぼ同じ意味で使います。

茨城県は同じような意味の方言で「かっぽる」がありますびちゃるの意味に加えて、テキトーに置いておく、放置する、というニュアンスが含まれていると思ってます逆に、捨てるというニュアンスはないです以下例文です①「これどうする?」『その辺かっぽっといて〜』②「またここにかっぽりっぱなしで!(怒り)」

私は尾張(清須市)出身ですが、「にじゅうなのか」は違和感ないですね。ただ、「じゅうなのか」はほんの少し違和感がある気がします。両親は名古屋人と岐阜の大垣人なのでどこ影響かは分からないです。

びちゃる を知らんかった三河弁話者、急にものすごい勢いで後ろから刺されておどけたにじゅうなのか…三河なのね……

和歌山で言うと、「ありがとうございます」ですかね。大阪とか神戸みたいな普通の関西弁だと、「ありが\とう…」って下がるんやけど、和歌山は「ありがとう」単体で発音した時と同じく、「ありが/とう…」って上がるんよね。

自分は和歌山でしか使ったことないし、他の西日本の地域でどうかは分からんけど、「片付ける」って言うと「綺麗にする」ってニュアンスが含まれちゃうから、「直す」は「戻す」が近いかなあ。例えば、ちょうど名探偵コナンで「直す」で平次とコナンの間で齟齬が起きるシーンがあるんよ。焼死体の腕時計を遺体から外してよく見るんやけど、その後平次が「直しといてー」って時計をほって、コナンが「これを!?」ってなるんよね。ほんで平次が「あー違う違う、元の場所に戻しといてって意味やで」って言うんよ。ここで平次が「片付けといてって意味やで」って言ったら、元の場所に戻さずに捨てるってことも、まあ一応含むことになるやんか。そら証拠品やから捨てへんと思うで?まあでも捨てても言った通りにはしてるやんか。せやから「直す」は「戻す」って考えた方が良いと思うんよな。それに、こう考えると何が良いって、「修理する」の「直す」も「元の場所に戻す」の「直す」も、どっちも「物の状態を元に戻す」って意味で、物の機能に注目したのが「修理する」、位置に注目したのが「戻す」ってスッキリすることなんよね。堀元さんが方言どんどん使って行った方が良いって言ってたから分かりにくかったかもしれやんけど優しーしたってやー

堀本さんはマントルピースを『7 Days to End with You』でかなり見てたはずなのに「ピンと来ないなー」と言ってますが、やはりもうアレはやらないのですね…

「変な家」の住人は人を人とも思ってないから「物件ぶっ殺しゾーン」の方が適切?

물건(物件)が「もの」という意味なのは、本来の意味で使われてるってことですか!?黒島先生....!なんで物件やのにものやねんって思ってました.....

路上に持ち主の不明な物が放置されているという通報で駆けつけた警察の方が「不審物件」と言っていたことを思い出しました

優良物件はわざと人をモノ化して言うことで自分の方が立場が上で選ぶ側なんだと示していると思っていました。だから傲慢で好きな言葉ではなかったのですが…普通に良い相手って意味だったのかな〜

「優良物件を連れてくる」って言い方は人間を物のように言う比喩表現というか、冗談めかした表現だとずっと認識していたんだけど、みんな違うの?だって会社とか真面目なときに「うちの新人は優良物件です」とか言わないよね…?

他の動画と合わせての推測だけど、カルピスのチーズ味がクソ物件オブザイヤーだったんだろうな……。

すてる vs なげる

大阪(北摂)出身ですゴミもボールも「ほうる」(ほる)と言えますが、ゴミ専用の動詞として「ほかす」という表現があります「ボールをほかす」というと穴が空いたりして「捨てる」んだなということが一意に定まりますあくまでも大阪弁の一例ですが、元来投げることと捨てることを同じような行動だと捉えるスキームがあるかもしれない一方で、なるべく小さな意味に単語を当てたいという動機もまた人にはあるのかもしれないなと感じました

むしろ、和歌山では「放る(ほる)」は「捨てる」と「投げる」の両方を表すので、後ろに「投げる」をつけなくても、「ゴミをほる」、「ボールをほる」、両方言いますねー

フランス語「jetter」、中国語(丢;扔)、広東語(抌、diaau)も捨てると投げるは同じ単語

天は人の上に人を作らず 堀元的解釈「言ったモン勝ち」

ここを聞いてて、飲んでた水が鼻から出た

(1)

対格・属格交替(関西)

対格・属格交替、和歌山弁ではどうだろうと思って(和歌山住みやけど生まれが名古屋なので和歌山弁ネイティブではないので)、和歌山県の高校で音楽教師をやっていて親しくしている知り合いに聞いたら、「絶対無理」って返ってきた。アクセントを変えても無理らしい。むしろガノ交替に聞こえて、「ゴミが捨ててるのが思い浮かぶ」って言ってた。「そもそも、地域で方言を括るのは無理や。現代では移動も連絡も簡単にできるようになって、違う地域の人と交流できるようになったから、言葉もいろんな人の言葉の影響を受けてるから、混ざりに混ざってる」。そういう論文があるって言ったら、「そもそもその論文も信用できやんもん。こういう表現を使う人が多いと主張する論文も、その地域のうち何人をサンプルとして抽出したのか気になるし、過去の地域に住む人は、生まれてきてからこういうところでこういう環境で育ってこういう言葉に触れてきたから、この表現を使う人が多い、なら納得できる」。「どの年代でどのくらいの割合の人が使ってるのか、せめて5年おきに調査してほしい」って言ってて、自分の言語観をぶち壊されましたね。まあでも言葉に興味を持つ前はそういう考えだったはずだし、もっと批判的にものを見ようと思った出来事でした。方言GeoGuesserの話をしたら、そもそも成立しやんと思うって言ってましたね。

嶋村先生の「体格・属格交替」、石川県でよく見るんだよなぁ、なんなら学校の先生とかがこの用法で使うから小学生のころ「を」と「の」と「が」はなんとなく同じ使い方の仲間だと思ってたまである。海外の日本人学校に行っていろんな県の出身の友達に指摘されて気づいたし、関西出身の人にも「おまえの方言って関西弁に近いけど独特だね」って言われてたの思い出したわ。

本当にありえないほどおもしろくて好き、大好き

39:00私は過去形「ゴミの捨てた場所」は大丈夫です。関西人ではありません。ゴミの捨てる場所 = ゴミが捨てられる場所 (意味は可能)ゴミの捨てた場所 = ゴミが捨てられた場所 (意味は受け身+過去)「ゴミの (属格交代)」に「ゴミが (主格) ~られる」の意味が生じることにより、文内に他の主格があると成り立たなくなるように感じました。「規則でゴミの捨てた場所」は、単純に「規則で」と受け身が意味的に相性が悪くダメそうです。 (2)

interesting のほうの面白さもあって本当に最高

「規則でゴミの捨てる場所」は関西アクセントでも水野アクセントでもかなり違和感ありますが、関西とは逆に平坦に近いアクセント(正確には「ミの」の部分が少し上がる などで堀元さんが言ってる感じ)であればギリ容認できます。「規則で」がなければもうちょっと許容できます。しかし「ゴミを〜」だと水野さんのように「ミ」だけを上げたアクセントでないと気持ち悪いです。どうやら「ゴミ」のように二音かつ、「の」を付けるときと「を」を付けるときでアクセントが変わる単語であれば、「服の着る場所」「靴の脱ぐ場所」「豆の植える場所」などギリ容認できるものがある、という感じがします。それ以外の単語ですと、動詞に可能を表す「れる・られる」が付く場合には「の」と「を」を交替しても容認できるようです。「ご飯の食べられる場所」「タバコの吸える場所」「タクシーの拾える場所」などなど。「規則でゴミの捨てられる場所」であれば完全に容認です。この場合「が」にも交替できるのでそっちの影響なんでしょうか。

私は過去形「ゴミの捨てた場所」は大丈夫です。関西人ではありません。ゴミの捨てる場所 = ゴミが捨てられる場所 (意味は可能)ゴミの捨てた場所 = ゴミが捨てられた場所 (意味は受け身+過去)「ゴミの (属格交代)」に「ゴミが (主格) ~られる」の意味が生じることにより、文内に他の主格があると成り立たなくなるように感じました。「規則でゴミの捨てた場所」は、単純に「規則で」と受け身が意味的に相性が悪くダメそうです。

岡山生まれだけど、全部容認できないな…Twitterを見すぎて、自分の方言が死んだからかもしれないけどあーーアクセント変えたら容認性あがるー!すげええ!

堀元さんと同じ北海道民ですが直したくなりますね「ゴミステーション」に

アクセントによって属格交替できる?

ここ、川原先生がおっしゃってた「PサイドがSサイドに影響を与えるケース」に当てはまってる気がしてめっちゃ熱くないですか⋯!

「ゴミの捨てる場所」のアクセントの話題で()、愛知方言と東京方言が同じアクセントとされていたけど、東京方言では「ゴミの」のミにアクセントは来ず、ミとのが平坦になると思います。

もうこの動画で聴きすぎて、容認できるようになってきた

概要欄の補足みたら、初期装備でラージャン出てきた・・・

方言GeoGuessrがやりたい

ここの水野さんなんて言ってるんだろう。ふくわんがある?調べても出てこない……

「まじまじと聞く」はコロケーションとしてはあっているのだろうか…それとも方言の一種?

ズーズー弁は出雲方言でも…って話、「砂の器」のおかげでもっと知られてるかと思った

福井弁と東北弁も似てる
