
果たして山田玲司先生のこの解釈をそのまま首肯して良いのか、疑問が出る。時代に乗ったというより富野がマリア主義という、のちのオウム、統一教会的なカルト宗教でなければ、一部の人々が救われないということを看破したことこそ、Vガンダムの先見性であると思われる。

この点が山田玲司先生の浅いところで、ヤキモキしてしまうところである。ただ、この当時の富野が主人公に真面目な良い子を配置したところを見抜く着眼点は素晴らしいと思う。今後の富野由悠季監督の主人公達はエキセントリックさは鳴りを顰め、真面目な良い子が主流になっていく。

当時勇者シリーズがあり、教条的な要素とエンタメ要素はそこに補完されていた。果たして富野由悠季監督はエンタメを簡単に目指していたのだろうか?Vガンダムをエンタメだけで切り捨てしまえば、「見ては行けないものになる」。だが、富野監督が視聴者に本気で伝えようとしたことを理解しようとすれば、それは正しく「見て下さい」になるのだ。

>進撃も何らかの影響を・・・・Vガンにも地ならしが出てくるんだよね

やや煽り気味であるが、奥野さんの言っていることは正しい。戦場に放り投げられた、戦争に才能のある一般人は皆カテジナになってしまうのではないか?という不安感はVガンダムの根底部分である。

宮崎さんはガンダムを意識してたと岡田さんのルパン解説の放送で言ってましたね。本当かどうかはわかりませんが
