
富士フイルムとコンピュータの意外な関係

右側にコンビニに置いてあるタイプのゴミ箱があるのはわかったので、私は水野さんよりコンピュータ科学に知見があります!

日本は国家レベルの事業を個人でやりがち

ロケットも同じようなものですね。ただ最初から「国家プロジェクト」という感じの規模にするのは英米で、理由は、それを理解できる人材が「国家」の中に居る、若しくは引っ張ってきて責任者に据えることがきるから計画を立案して指示を出せるということ。この辺が過去の遺産を詰め込むことに長けた=勉強ができる人材が権力の座にいて、新しいことに対するアンテナが低いどこぞの国の弊害でしょうね。まぁ、一面でしか無いですけど。

ここまで聞いて、日本の民間すごいではなく(すごいのは間違いない)、その頃から日本国はダメだったのかという気持ちの方が買ってしまった。

うまくいかないのは当たり前

このあたりの発想ほとんど森鴎外のレジグナチオンなんですよね全エンジニアは森鴎外になるべき

自分も研究室でモデル1000個ぐらいは作ったと思うけど,うまく行ったのは1つとかなので,「プログラム作ったけど,うまく行ったら儲けもん」という気持ちでやってた

一部の例外を除けば仕事って何らかの形での「問題解決」であって、この姿勢はエンジニアと呼ばれない職種の職業人にも求められて然るべきではないかと思います。「定型業務を刻むだけ」の仕事は今後ますます無くなっていくでしょうしね。『人月の神話』のはなしに通じるところがあると言うか、人間には最初から未来予知の能力はベストエフォートレベルでしか実装されていないのだから想定通りに事が運ばないのってどんな分野でも当たり前のことだと思います。そんな現実の中で無謬性を求められる文化のある職域では結局「嘘」か「手抜き」か、たいていはその両方が蔓延することになるんですよね。比較的間違いを犯す確率が低い人たちを集めているはずの航空業界が失敗に対して「現実的なアプローチ」を採用しているのは、一つの証拠ですよね。

ほんそれだし、

まさにこういう未知へ許容度を表す言葉として「ネガティブ・ケイパビリティ」があります。現時点で解決できない事態に耐える力、という文脈で使われます。

で言ってるように学校というもので得るべきものは理不尽への耐性だと思う。

毎日の暮らしにワクワクを

ビジネス書100冊企画の残滓が……

科学朝日はsciasも含め読んでたぜぇ休刊はかなり悲しかった

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無駄な会議はストレス源

アル・ゴアとアル・アゴ

本日のパワーワード「不要不急のアル・ゴア」
