
もうがんばれない

みんな仕事で燃え尽きるのが好き

ある日、突然壊れてしまった

追いつめられてる時、後ろを通行人が歩いてるとかだけでも腹が立ちますよね

ローマ帝国とかウマイヤ朝とかの滅びの黄金パターンじゃねえか

だからこんなに毎回おもしろいですね😮ぐっときました…..🙏

そうやってみんな水野さんと同じ沼に…

世界は開かれてしまった

ネット対戦の普及でトドメを食らったのは格ゲーはじめローカル対戦を軸にした"ゲーセン文化"のほうで、既にそれが下火の頃だったと記憶しています。格ゲー自体はネット対戦の普及したストリートファイター4あたりからプロシーンの盛り上がりやコンテンツのマネタイズが進んでむしろ活気を取り戻してると思います。

??? 「全ての国民が平等なパラダイスみてぇな国をつくるぞ!」

ロールズが『正義論』で、「大きな政府として弱者を福祉などのセーフティネットで受け止めながら自由でもある社会」を作るにあたっての二つの原理の一つとして「格差原理」というものを設けてるんだけど、それはざっくり言うと「貧富の差はあえて作らなければならない」というものなんよね。その心は「貧富の差がないと競争が発生しなくなるから社会が発展・成長しない」ということなのよ。大学の授業でロールズのリベラリズムを習って、この「格差原理」を知った時、「確かに必要だ」と思ったんだけど、改めて考えると、ロールズもまた「社会および社会の成員は成長しなければならない」という考えに囚われてたんやなって……

その努力はなんのため?

ここらへんのお二人の短い会話聴いてて、自分の中に常にあった不安が「変化」だったんだと解ってさらに不安になった後、サァッと晴れて考え方を反転できて、さらに「本質関係ない」でまたぐるっと一回転して元に戻るって体験できました笑

ここ福丸小糸

ここで「じゃあ一石二鳥じゃん!」って思っちゃった。終わりが近づいている気がする

この話、結局は程度の問題、もしくは自分が経済合理的な人間だと思いたいだけだと思っている。相手が99億9999万9999円貰えて、自分が1円しか貰えないという配分でも同じことが言えますか?それも嫌いな相手なら尚更どうよ、と。心の底からYES、ノーリスクで1円貰えるんだから得じゃんと言えるなら真の忘八なのかもしれない。

の何もしていないのに1万0秒で1万貰っているから、時給換算すると1時間無限円w

「合理的経済人はそうなるはずだけど みんなそうではないから行動経済学は必要」最後通牒ゲームってやつですね。いくつか解説動画見た事ありますが、最適解は100:0らしいです。その心は、合理的経済人であれば自己利潤を最大化するべきなので、相手に1円も渡すべきではない。許可する側も合理的経済人であれば許可しても拒否しても、0円を得る状況に変わりはなく、損もしないので許可するだけでいい。との事でした。ちなみに、欧米人ほど不公平な分け方に寛容で、アジア系ほど不公平な分け方に不満を表し、特に日本人は最も不公平な分け方に厳しいと言った記事をどこかで読んだような気がします。「懲罰的な拒否を選択する」って表現してた気がします。後に続く「みんなが俺だったら行動経済学はいらない」のはそれはその通りだと思いますが、まぁ、人間も野生動物であり利己的な個体も居れば利他的な個体も居るでしょう。パチンコや競馬をやめられない個体も居れば、無償ボランティアをやめられない個体も居るでしょう。余計な金銭を支払って余計な脂肪を蓄えて、また余計な金銭を支払って脂肪を落とすためにスポーツジムに通うような個体も居るでしょう。合成の誤謬の話もありますし、伝統的な経済学の理論だけがただ唯一の正解と言うわけでは無いと個人的には思います。「みんなが俺だったら行動経済学はいらない」に付け加えて言うと、行動経済学が誕生せざるを得なかった理由、今の世に存在している理由はここにあると思います。「みんなが経済学の想定する合理的経済人ではない」のです。伝統的な経済学が、物理的な現実と理論の乖離の穴を埋める仕事を、ある種の表現でサボったゆえに、行動経済学が誕生したのではないかと僕は思います。
![人間が「同僚の大きな昇給と自身の小さな昇給」より「どちらも昇給しない」を選ぶ事象について、狩猟採集時代の危機回避本能の名残と考えられるのでは、と思いました。狩猟採集民族基本的に富の偏在や格差を積極的に抑制することが多いことはゆる言語学ラジオのほうでも述べられていたかと思います(ゾミアの回ですね[1])。人間の歴史の8割以上は狩猟採集時代であり、現代の人間の本能にも狩猟採集時代の行動がインプットされていると考えると、基本的に格差が拡大する「同僚の大きな昇給と自身の小さな昇給」よりも、自身の利がなくとも格差を抑制する「どちらも昇給しない」を本能的に選んだ、と考察できるかと思います(参考[2])。他者の報酬と自身の報酬を比較する機能自体は、猿の時代から既に脳に持っていた可能性を示す研究もあり[3]、強者への富の偏在を抑制する「逆支配」の社会的構造がそもそも進化的に埋め込まれていた可能性すらあります。すなわち、お二方が経済的合理性から前者の「同僚の大きな昇給と自身の小さな昇給」を選ぶという事自体、ここ数十年の資本主義社会構造にバッチリ適合した結果であり、多くの人はそうではないという裏返しかもしれませんね。 - 【悲報】僕たちは、鬱から逃れられない](https://img.youtube.com/vi/hd_vyoBgJzM/mqdefault.jpg)
人間が「同僚の大きな昇給と自身の小さな昇給」より「どちらも昇給しない」を選ぶ事象について、狩猟採集時代の危機回避本能の名残と考えられるのでは、と思いました。狩猟採集民族基本的に富の偏在や格差を積極的に抑制することが多いことはゆる言語学ラジオのほうでも述べられていたかと思います(ゾミアの回ですね[1])。人間の歴史の8割以上は狩猟採集時代であり、現代の人間の本能にも狩猟採集時代の行動がインプットされていると考えると、基本的に格差が拡大する「同僚の大きな昇給と自身の小さな昇給」よりも、自身の利がなくとも格差を抑制する「どちらも昇給しない」を本能的に選んだ、と考察できるかと思います(参考[2])。他者の報酬と自身の報酬を比較する機能自体は、猿の時代から既に脳に持っていた可能性を示す研究もあり[3]、強者への富の偏在を抑制する「逆支配」の社会的構造がそもそも進化的に埋め込まれていた可能性すらあります。すなわち、お二方が経済的合理性から前者の「同僚の大きな昇給と自身の小さな昇給」を選ぶという事自体、ここ数十年の資本主義社会構造にバッチリ適合した結果であり、多くの人はそうではないという裏返しかもしれませんね。

裁量権 あればあるほど 休めない社畜心の俳句

能力はあなたの持ち物じゃない

ちなみにこの現象を最初に考察したのは,かの有名なチャールズ・ダーウィンです.そして,この仮説を証明したデータは核兵器実験の際のビキニ湾などのボーリング調査で実証されました.詳しくは「沈降説」で.

まさにこの営為が、YouTubeという環境でペラペラしゃべるという相互作用により《知識》があるように見えるという実証になってるの、メタいな

堀元さんが卒論でロボットにやってたことは、AIの認知症を加速させていた…?!?!

ここ非常にうなづいた。飯田さん派

外部リソース込みで能力を考える話、面白いですね。そういえば、最近は人・物・金・情報なんて言ったりしますね。関係ありそうです。

まさに、評価制度の手抜きですね。外部の市場をハックしますね

の会社はゆめみかな?

たまには、偶然や感情からくるノーカットに挑戦してほしいな。と思いました。間を聞きたかった。

やっぱり コント「社会人」 って本質だよなあ

パニックや鬱などを通って自分の本体は社会にないからと思えて以来少し仕事が楽に感じたのはこれかもしれないと思いました

ここの話、統合失調症の人が取り上げられたニュースで「俺はこの世界を映画だと思ってる」って言ってた話思い出して、本当におかしいのはこの人とこの世どっちなんだろうって思ってた

"人間"に切り込んでいく おふたり痺れるッ……!!!!!!😂

めっちゃ分かる「あなたじゃなくて意見を否定してるだけ」ってなんもわかってなくないか?

ちょうど今日、なぜ自分を否定されたように感じてしまうのか…って悩んでたからめちゃくちゃ心強いやっぱ普通に傷ついてる人っていっぱいいるよね!?

ちょっと違うかもしれないけれど、「こういうことは最近はあまり言わない方がいいのかもしれないけれど...」と前置きをした上で、本当に言わなくていいことを言う上司がいる。その前置きは人を傷つけてもいい免罪符じゃないだろって思いながら、思うだけで何も言えない自分が情けなくて嫌になる。

超わかる〜それは免罪符じゃねえぞって成果物と人格を切り離すのは無理って前提の上でコミュニケーション取ってくれ、ケアをしなくていいと思ってるのは怠惰でしょってめっちゃ思う

これって責める側、批判する側が言うことじゃなくて言われる側が心を守るための言葉だよね

M野「僕は堀元さんの事を貶してるわけであって、積読チャンネルの事を貶してるわけじゃないですからね!」

「ビジネスの場ってそんなに治外法権なの?」の話で少し話が違うかもだけど、自分の会社の代表はどんな理不尽な事でも「いや、だってこれ仕事だから」とバッサリです。「何でもかんでも『これ仕事だから』は免罪符になりませんよ?」と言っても「いや、なるから」と。凄く少ない人数の会社なので辞めるにも辞められず、もし仮に辞めても地獄の底まで追いかけて来そうで自分の将来は暗いな……と感じてます……

作品への批評(X上)する人って結局何もやってない人だし作れる人は自分ならどうするを出来るから行動に移せるっていう違いがあるよなと思った。

でカイジのブレイブメンロードくるか??って期待してたら意外と来なかった

「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけ」という言葉が去来しました。

鉄骨渡りの「謝るな」の話だな

人の悪口をnoteでこそこそ販売してる人の発言とは思えねぇな

春風亭昇太の寄席があまりにも面白くなかったのを批判するため、自分の本名、住所、顔を晒した上で批判してた人思い出しました

正しい趣味を持とう

はい

田舎暮らしで見えるもの

ここ「おもひでぽろぽろ」の逆

自分にとって理想郷なはずの自分の部屋が、ふとした瞬間に息苦しく感じるのは、すべて目的を持ったモノだけで構成されてるからなんだろうな。。。

思い出話はダサくない

こんまりさんはむしろ思い出とか役に立たないけどなぜか大切なものは捨てるなって言っとった気が…ときめくかときめかないかを基準にしてて、ときめく物だけ残そうって話だったよ卒アル捨てろは行き過ぎたミニマリストの発言

こんまりヒトラー説はさすがに草

最近80年代リバイバルがあったと思ったらすぐ90年代、果てはY2K過去を振り返るカルチャーがやたら多いけど、みんな本能的に過去を振り返りたくなってるのかも

本当にこんまりさんに怒られてほしい

現代で受け得る1番の悪口

堀元驚愕の顔好き

「しがらみに飛び込む」?飛び込ませてくれよぉ、家庭を持つとか、子供が熱だすとかぁ(涙

仕事が目的になっている話をしていますが、生物学的には子孫を残すほうが目的で仕事はそれを支えるための手段のような気がしています

何かの研究で読んだのですが、シングルマザー幸福度を調べた時、子育てに専念できる人と、子育てと仕事を両立させなければならない人を比較した時、子育てに専念できる人の方が時間的に余裕もあり幸福かと思いきや、仕事と子育てを両立させなければならない人の方が幸福であるという研究があります。これはなぜかというと、子育てしかしていない人は、〇〇(子供の名前)ママという一つの役割しか自分に存在しない一方で、仕事もしている人はその人個人でもあり、ママでもあるという自分の役割が存在することが関係しているとあった気がします

HxHで言うところの「強制的な『絶』」だ

もし自分が限界を迎えたらそれもコンテンツにしたいと思ってるのがヤバいもう堀元さんを救う方法は無いんだなと思いました

Diggy-MO'と化した飯田

俺はこんなもんじゃない

「身体は闘争を求める」が現実に降りてきた

しかし25歳の堀元さんが言ってたように私はもう闘争の舞台に立ちたくない。このままずっと会社の隅っこでヘラヘラしてたい。でも確かにあと二億欲しいな…笑

頃のCMが龍角散ダイレクトだったんだけど、お祭りの映像で「イヤァァァアア~~~♪アアァア~~~~♪」っていう歌?雄たけび?みたいなやつで、ぴったりすぎて最強だったww
