
今を生きる怪しい男、室越龍之介

から、「つまるところこの動画は何を語る動画なのか」を語り、それ以降の時間で実際に語っています

ツッコミが早過ぎるw

アカデミックにもある論理構造の違い

ゲーマーとしても、たとえば原神とか、他にもインディーゲームなどで海外制作のローカライズ作品を読んでたりすると、やっぱりレトリックや言い回しは違うかもと思う。(それによって一段と違うエモい世界観の表現を担ってたりするものもあれば、単に冗長に感じるものもある)単に翻訳の妙かもしれない部分もあるけど、それだけではない何かも感じる。

ほとんど名指しで笑った

要するに(要するとは言ってない)

負荷が低くて理解しやすいってのはかなり人を選ぶと思います。

これ最近めっちゃ感じてたこと!!住所を誰かに伝えたいとき、結論ベースで喋ると4丁目2-8 芝公園 港区 東京都みたいに自分の中で確定する場所まで覚えてないといけない。逆なら範囲が狭まっていく感じなので認知負荷が低い。

「結論が正しいかどうかをこっちで決めさせて」はまさにそう。

村越さんの発言からのくだり、めっちゃ笑いました

これめっちゃそう。結論から話せっていう人ほど結論から話さないし、言わない人ほど結論から話している感じです。

体験談ですが脳卒中など脳の病気をすると言語が思うように出てこなくなるため、使うタイミングではなくても無意識に使ってしまうことがあるようです。脳卒中を経験した身近な人が“要するに”を多様しますが、全然要していない時がほとんどです。毎回要してないなーと思いながら話を聞いていますが、たまに本当の“要するに”の時もあるので気をつけています。

結論から話せ!は〇〇の都合だった?

ここの堀元さんの「待って〜」 ギャルみたいで可愛い

ほりもとさんの心「その採点者、俺のことじゃん」

ここの話、好ましいって思うきっかけや理由を先に体験したものに流れたってのがまさに表れてそう。確か脳科学的な話で、人間は繰り返し考えること、よく頭に浮かぶものが重要だと思い込むように出来てるのもあって、その影響も強く出てそうな感じ

「信じていたものが崩れた瞬間」

ラノベの『キノの旅』の「日記の国」は、この擦り合わせを極端に書いたのかな、と思った。

日本の作文教育の目的がずっと分からなかったんですが、渡辺先生のこの指摘すごく腑に落ちましたね。90年代までも特に子どもの感性を重視していたとも思えませんが。自分の変化を求めるってなかなか理不尽。

「ヤバい感想はすり合わせの段階で消えていく…」これ、すごいことだな、、、

「日本の作文教育のえもいわれぬ気持ち悪さ」超わかる。当時これに対抗して捻くれてた。

めっちゃらタメになる

アツアツスイミング

あったかいんだなぁ^^

『お〜いお茶』の子供の俳句作品には擬人化が多い気がする発想が似たり寄ったりになりがちで陳腐化しやすいので下手に使わない方が良いのだが…実際に擬人化を使う子が多いのか、選考側が「子供らしくていいね」と積極的に採用するのか、いずれにせよ薄気味悪いなと思っていた

「日本は、異なる立場の人間がどのように見えていて、その人たちとトラブルが起きないようにどう社会を形成するか」が国語教育の大きな目的となっている。

これなんだよなぁ…。指導要領に、これが推奨されてしまう一文が書いてある…。教科教育と思わせておきながら、教科はツールのように思えるような指導要領の項目がある…社会形成がここでなされているのであって、科目の本質追求は求められていないというのが義務教育だなぁと思った教育実習…👼🏻そして義務教育の先生になるのを辞めた理由…。

この辺もっと詳しく知りたい方向け(要約ですが超長文コメ注意)

テストの現代文で正しい選択肢を選べるよう、読解の型を叩きこむみたいな感じなのかな?どのみち大学受験で必要になるから、ありがたいといえばありがたいが

教育制度が色濃く影響している

起承転結 とは順番が今の若者・ビジネスは違うって理解であってます?

ビジネス書のかつてダメだった自分が〜形式はなろう系の基礎になっている気がしますね…ビジネス書はなろう系だった!?

どう論文を読んでる?

堀元さんは、職業柄(性格上?)「大量の情報を効率的に捌きたい」ので、高効率に理解できる結論重視型作文を好み、室越さんは、職業柄(性格上?)「情報の真実性を慎重に吟味したい」ので、過程重視型作文を好むのかもしれませんね。

あたり 伝記を読む時に最後の参考資料に目を通して、どんなものかなとざっと決めつけたりはします。

堀元&水野「参考文献(として挙げられているもの)を読む」室越さん「(論文の巻末にある)参考文献(表)を読む」アンジャッシュしてる気がす

本題ではないのですが、『薔薇の名前』ではなくて、ツヴァイクの『書痴メンデル』ではないでしょうか。若干プロフィールは違うので、間違っていたらごめんなさい。『チェスの話』という短編集に収録されています。ご参考までに。

参考文献読むだけで、ボディ・本文がわかることはないかもですが。Pythonのライブラリのimportを読んで、レアなライブラリばっか使っていて、そのライブラリでよく使われる機能が頭に入っていれば、「こんなプログラムを作れる可能性はあるかもな?」とは思いつきそうな気はしました。それに近いのかな。

ピュアすぎる室越さんは結構モテる

「どんなにわかりにくくても、最後まで話を聞く」→「この人が何を言いたいのかを知りない」これめっちゃわかるかも!

モモ

村越さんが意図せず人に好かれる話、自分もそのタイプで何か嬉しい。インサイトが、翌日か1週間後に出るくだり、めっちゃ笑いました、自分も似たタイプだけど、そこまでじゃないから、熟考度合を考えると尊敬してしまう

俺の話を傾聴するな

これめっちゃ好きなんですよね、兎に角情報量欲しいのでどんどんしゃべくり散らかしてほしい

女子中学生には敵わない

「男性は聞いて貰う時に「寄り添われたいかor否か」にそれほど拘らないのでは?」というか「聞いて貰うときはズバリ解決策が必要な事が多いのでは?」だから「聞く側に立っても「寄り添うべきかor否か」に無頓着なのでは?」

3人のお話は非常に興味深くて面白いいんだけど、友達にはなりたくないなぁって感じてた理由が分かった

〜の話、まだ読めていないのですが、「男はなぜ孤独死するのか」につながってきそうです。男は対人スキルを学習しないまま大人になる、とあったので、まさにこれかも、と。

男ですけど女きょうだいで小さい頃から女の人に囲まれて生きてきたからなのかそのターンは中学ぐらいでほぼ終えてますね。

「普通女は中学生くらいで終わらせてるよ」いや、女性は別に人の話し方には合わせへんやろ〜同じ話し方の人に同調圧力で合わせることを覚えるだけor元々持ってる「女性」自身の性質に沿った話し方をしているだけで

模索を”終わらせてるだけ”なんだよなぁ

当方女性ですが、女性が大体中学生くらいで終えるは合っている気がします。そんな中でも、ある程度勉強ができてしまうタイプは大人から良く思われるため「これでいいんだ」と思って「他人に喜んでもらう」努力をその時期にしなくなります。特に真面目キャラが定着して特別枠扱いされるせいで、女子のカーストサバイバルを生き抜かなくても済んだタイプ。そういうタイプは堀元さんが言うように、大学くらいで気づくか大人になっても気づきません。そう、私です。

インテリたちの様々なフィラー

「人生で2〜3人」

ターンテイキングかあ、わたしもよくやってしまうのですが・・・。自分のポッドキャストでさまざまなゲストをお招きしている感覚からして、「(勉強会とかビジネスカンファレンスとかで)表舞台に出て話す機会の多い人」ほどフィラーが多い印象です。あんまり表舞台で話す機会のない活動をされている、コミュニティカフェのオーナーさんとか中間支援NPOや災害ボランティアなどの方はフィラーが少ないなと感じています。

考えてるとき黙るのめちゃくちゃ同じ。だから、全然知らないひとと通話するときとか、初対面のひとと話すとき、無視してんの?って言われて、考えてたんだよって言うことよくある

「話し方変だよね」で人をイジメたり、集団から外していくと、学者タイプの人がどんどん減っていくと思う。最近はそれが加速しているように思う

つまり堀本さんの喋りはアジャイル開発ってことか。

子供の頃に比べて考えること・話すことに慣れたのか、堀本さんの言っていた( )、「話しているうちに違うことに気づく」ようなことも増えてきてる気がします。

堀元さんの取り敢えず言うのって、今時のCPUにある投機的実行みたいで興味深いです(判定結果が出る前に計算を進めておき、結果に合わせて採用する奴)。

このくだりってラバーダッキングとかベアプログラミングとか言われる方法に似ていて自分の思考をとりあえず出力してまとめるのはプロぐグラマらしいなって思う

某オタキングの人の切り抜きにあった話速とトルクの話がこれなんだなあ(小並感

爆速で出力するけど間違っていることを言うのって、ほぼChatGPTで草

ダメだと言われているものの、なんか良さそうなので真似してみようかな・・・w

でも大抵の場合、会社で間違ったことを言ってはいけないってなってるから、間違っても認めないんだよな

「試行錯誤」という表現から、「結論の全探索でもやりたいのでしょうか」と考えました。自身の根底に何も無い人はとにかく広く思考することができ、自分とは何かを確立している人はそれをベースにじっくりと考えることができ、相談されやすくなるのかなぁと……思いましたが、過言かもしれません。“嘘”は言いたくないので断言はしません。

「存在を問われている」わかる!!!

あたりの内容について。完全に偏見ではありますが、儲かるからという理由で言説を変える人よりも、そもそも最初から社会とか人生について確固たる言説や思想を持っていない人のほうが圧倒的に多いのではないかと思います。なぜなら私自身がそういう人間だからです。もちろん私がそう思っているからといってみんながそうだとは限らないのですが・・・。むしろこれは私の願望かもしれません。

そんな責任重いんだ←言われたことありすぎる。存在を問われてると感じるのも共感すぎてなんか嬉しい。

うける

とても幼い頃に「“さっきまでと違う意見”を言ってしまったせいで怒られた」という経験を何度もしました。具体例として、親に何の紙パックジュースが欲しいか聞かれ、「りんごジュース。」と答えたが、買い物中に、「やっぱりミックスジュースがいい。」と言ったら、「でもさっきりんごジュースって言ったよね。どうして考えを変えるの?」と言われました。このことから、「考えを変えることは悪であり、一貫性を重視しなければならない」と推論しました。そして今もこの考え方を持っています。この経験と動画を踏まえ、“嘘”を言う人は、「一貫性のない今を生きているのかな〜」と思いました。

メジャーな方のデカルトみ

「自分がこう思うという主張は人生の全て」だと思っている

すごい言語化に出会った。めちゃくちゃ腑に落ちる

合理性は歴史から生まれる

社史と経営戦略の関係性と通じるものがあるなぁと思いました。企業戦略論では、企業に漂う空気感が次の経営戦略を決めており、戦略に沿った組織の成員がまた、新たな企業文化を作り、また戦略というループが繰り返されてるんですが経営者が社史の編纂を望むのって、このループを見える形にして、今やってる戦略の正しさを証明したいというインサイトがある気がしました。

社史編纂正統性私たちは何者かルーツアイデンティティパーパス経営ミッション我々がどういう会社なのかその後の活動の根拠になる

前後、文脈 アイデンティティって 辞書だと自己同一性だけど、自己規定そのものが外部規定ってことであってる?(多義語なだけなのかな)

企業が持つ歴史、ストーリ自体がブランド的な価値になるという観点もありますね

「違う」を掘り下げられる本

まとめめちゃくちゃわかりやすい!!

あたりの室越さんのお話が順序だっていてめちゃくちゃわかりやすかったです。それ最初の方に聞かせてくれよ! と思ったんですけどこれは矛盾なのかなぁ・・

ここ、ものの見事に結論から話してなくて感動した。

室越さんの素敵さが詰まってるなぁ
