
自動詞・他動詞から人の〇〇が見える!?

黒島先生、再登場

どう分ける? 自動詞と他動詞

席を替わってもらうから誤って変化したものじゃないですか?

自動詞から他動詞「を派生する」ときのパターンという黒島先生の発言もまた一例になってる…が派生する / を派生させる が規範的?なのかな

堀元さんの踏み込みが鋭過ぎて頬に傷が入る黒島先生

付いているモノは文明の証

「全部聞き取れたのに…!無標と有標さえ知ってれば…!」というバッテリィズのエースさん状態になってしまった

全部聞き取れたのにー!

堀元さんがバッテリィズのエースさんの気持ちを体験している

一瞬で視聴者がバッテリィズのエースになった

堀元さんがエースのバッテリィズ

奇しくもバッテリィズのような返しをしてしまう堀元見

「全部聞き取れたのに!」だ

「喩え要らないですねー」【悲報】Mr.ホリモト、2025年を目前にして成長してしまう

このへん、なんで「凍らせる」って言ってるのに字幕は「凍らす」なんだ?

◯なせた (後悔)亡くす(哀しみ)/亡くなる

ここでスッキリ納得できた

前々からファスト映画ちょっと笑えねぇなとは思ってました

最高のおもちゃ『使役交替言語地図』

水野さんの名前「太貴(だいき)」を動詞にしたら「だいきる(die kill)」になるなあ。とか思いついた大晦日の午後10時。

こういう配慮嬉しい。言葉は生きている。

「覚える/覚わる」も自動詞化と見てよさそう(素人意見)

「日本人だからピンとこない」いやいや、何ピンとこないんだよ、この2人(3人?)。しっかり日本語あるじゃないですか。「習う<ー>教える」です。全然別系統の単語。(自分で勉強するのではなく)先生みたいな人に教えてもらう、というのは、「教わる」とも言いますが「習う」とも言います。(そっちのほうが多いのではなくて?)英語だったらlearn <-> teachとか違う単語だったりします。まぁ、教わる=習うみたいに完全な同義語ではないし、翻訳でもちょっと意味が変わりますが。

日本語の勉強するとき「가르치다=教える」/「배우다=学ぶ」みたいに1:1連結させちゃったため、未だに「教わる」って単語がぴんと来なく、むしろ「教えられる」の方が自然だと感じている…っていう現像が起こってます。(私一人だけの問題かも)追伸:ちなみに「起こる」と「起きる」もめっちゃ混乱してます、どっちも「일어나다」になってるため。

「始める-始まる」は名詞化させた場合「はじめ-はじまり」になりますんで、なんとなく始めるの方が無漂なのかなって理解しました。

「始める hazime-ru」「始まる hazim-ar-u」は ar が付くことによって e という母音が落ちていると分析されています。(ここで「始める、始めます」のように「始め」の部分は変わらない)

言語によって何が自然か違う?

エスペラントでは「殺す」が「死ぬ」から派生した単語で表されるからヨーロッパの言語でも補充法じゃないものがあるのかと思ってたけど、ということはザメンホフの発想がすごかっただけなんだ

ドイツ人です。他の大部分の言語と同じ補充法なのですが、他動詞の方のtötenはtotという、死んでいるという意味の英語のdeadに相当する単語(多分これも語源的に関係があります)から派生したと思いますので、実はこれは「死なせる」みたいなものだと言えなくもないかもしれせませんね。(ただし、厳密な考証は行っておりません)

oにウムラオトが付いているので「テーテン」じゃないですかね?(大学1〜2年でドイツ語選択してただけの知識ですが)

日本語と韓国語の違いがここに

大阪人です。「死なせたろか」のようなことを使ったり聞いたりしたことはあります。

関西弁で「いてまうぞ」は聞きますね「往ぬ」が去る、死ぬです

「ビジネス経営者」

「ビジネス好き」を連濁するかどうかでビジネスの意味合いが変わってそうで面白い

ビジネス好きはつまりステマやん?

「オレンジレンジ」は沖縄生まれですが、沖縄の方言には「むっちゃいくゎったい(べたべた)」「ニーブイカーブイ(眠い)」「アワティーハーティー(慌てる)」といった韻を踏む表現が多いんですよね

出産の表現が婉曲なのはなぜ?

真っ先に「産み落とされた」が出てきてしまった。月光

英語話者です。to bear を産むって意味で日常的に使わないから、耐えると同原語なの今更気付いて衝撃を受けました。

「I bore my son」もありうるはずですが、あまり使われない、ということです。

ここハモり

「生む」がスペイン語で「光を与える」だとしたら、ゲーテの臨終の言葉「もっと光を」は『私はもっと生きていたいから光(寿命)をくれ』という意味だったのかもしれない。

ついでにスペイン語学習者でもあるが、妊娠している状態であるという形容詞のスペイン語が embarrasada であることが今でも衝撃的。婉曲表現と言えるのでしょうか?

昭和生まれとして言わせていただきますと、小指を立てて「コレ」という時は、妻を表しません。付き合っている女性、それもどちらかというと不倫相手など大っぴらには言いたくないニュアンスを含む気がします(普通の恋人も指すけど下品な表現なので露悪的にやる感じ?)。お腹の膨らみをジェスチャーで表すのも、予想外の妊娠、「できちゃった」的なニュアンスを感じるので、結婚している人が奥さん妊娠したことを表現する場合にはあまり使われないような気がします。なので「生々しさを避けた」というより「はっきり言いたくない後ろめたさがある」のでジェスチャーにする、というほうがしっくりきます。

「世界に置く」(mettre au monde)は「世に出す」というふうに、今までむしろ「作品を世に問う」という感じでとらえていました。辞書を見ると、たしかに「子供を産む」と「制作する」の両方の意味がありますね。そのほかに、英語の「give birth to」そのままの「donner naissance à」や、スペイン語の「dar a luz」によく似た「donner le jour」(日の目を見させる)、「engendrer」、「accoucher de」も「産む」を意味することばです。フランス語は勉強しただけで、専門的に研究したわけではないので、それらの細かいニュアンスの違いまでは理解できていません。「engendrer」は英語の「generate」にも関係しています。フランス語で生まれるは「naître」(名詞形がnaissance)なので、いずれにせよフランス語の「産む/生まれる」は補充法であるといえそうです。なお、生まれる「naître」の同意語に「venir au monde」(世に出てくる)があり、「mettre au monde」(世に出す)ときれいに対応しています。

水野さんのお母さんが人生ゲームの車に青い棒を刺したみたいなニュアンスを感じました

さらっと流されちゃったけど「鬼束ちひろ」ですね

と思ったら宗教の話題もされていた

日本語で区別してて不思議なのは、固形の排泄物の事を動物のは「糞」で人のは「屎」で分けてるのに、液体の排泄物はどっちも「尿」なのちょっとWHYJapaneseぴーぽー

豚「pig」豚肉「pork」、牛「cow」牛肉「beef」などのペアについては、動物のほうは英語の本来語であり労働者階級による呼び方で、肉のほうはフランス語由来の支配階級による呼び方であってこのような分かれ方をしたのだと聞いたことがあります。労働者階級は生きた動物と接して「牛」と呼び、貴族などの支配者階級は調理された肉を見て「牛」と呼んだってことですね

それで言いますと、豚/豚肉はpig/porkですが、鶏/鶏肉は、両方chickenなんですよねぃ。

家畜を表す言葉とその肉を表す言葉が全然違うのは、イギリスのノルマンコンクエストで、征服者であるフランス語話者が貴族階級になったためと言われていますね。すなわち、家畜を育てる庶民階級は英語を使い、それを食する貴族階級はフランス語を使う、ある種の二言語社会になったため、それが現在の語彙に影響をおよぼしているのだとか。これはcow(牛)とbeef(牛肉)、sheep(羊)とmutton(羊肉)も同じらしいですね(塚本倫久「英語のルーツと変遷」(川成洋編『イギリスの歴史を知るための50章』、明石書店、2016年))。ただ、この参考文献だと、家畜としての豚はもともとswineらしいですが。

言葉から見える死生観

@なるほど戦争死感と災害死感の差かもですね。

収録日がいつか分からないけど、韓国社会への切り込みがタイムリーすぎてワロタ

堀元さん仕事するね

「韓国語で分けられていないのは韓国が戦争状態にあるから? 韓国はまだ法治国家になっていない?」尹大統領の非常戒厳 発令前に撮影してるだろうに、よくこんなピンポイントでヤバい話題を引き当てましたね…!
